今回もAppleとは関係ありません。
前回の続編です。
9月27日午前9時。
日進市役所へ。
9月23日午後3時前に市長秘書から電話があったときに指定された時間、場所。
3階の秘書広報課に向かう。
市長秘書の方と面会。
抗議に対する返答やら今後の対応やら、いろいろなことを話しました。
福島県川俣町に直接謝罪に行った際、福島県庁にも立ち寄って上層部の謝罪をしていたことなど、報道されていないことを聞いたり、福島県の様子(震災の前後)を伝えたり。
ただ、抗議文書を渡した際に伝えた「市長との面会」は叶わず。
僕以外にも、「市長と会わせろ」と言ってきた人はいたようで
市長にも、通常の公務があるということだったり、行政という立場から、公平性を保つためにも、全てシャットアウト。
まぁ、僕自身、一個人なので、難しい要求であることは承知済み。
だからといって、あきらめる訳にはいきませんが。
そう思いながらも、話は進むわけで。
かれこれ数十分話していた時でした。
市長室の方から市長が出てきたと思いきや
市長秘書と話しているこちらへ。
そして、あの時の市長の言動に対する弁解と謝罪が、市長自身の口から。
きちんとした面会の形にはならなかったものの、市長と対面で、市長の口から話を聞けたことには、満足しています。
市長秘書から「市長には会えない」と言われていた中で、会えた訳ですし。
もちろん、次の公務のために市長室から移動している途中の出来事。
偶然のことですから、市長秘書も全くの想定外。
ましてや、市長室と移動経路の途中で話をしていなければ、市長と会えなかったでしょうし。
それに、いくら移動の途中とはいえ、見て見ぬふりもできたはず。
実際、福島県産花火の打ち上げ中止に対する単なる抗議だけであれば、おそらく気も向けなかったことでしょう。
しかし、打ち上げ中止に係る市長の対応に対する抗議も含んでいたこと、その発端となったのが、僕の目の前で繰り広げられた市長らの会話であったこと。
さらに、そこで実際に市長に対して猛抗議したときも、本来の目的であった日進市産業振興課の方との面会のために、結局は微妙なところでその場が過ぎてしまったことは、僕自身だけでなく、市長自身も「微妙」に終わってすっきりしないという思いを生み出していたようで。
現に、僕が市長のことを覚えているように、市長も僕のことを「抗議した若者」として覚えていたとのこと。
考えてみれば、市長が「自ら行動を起こした」ということですから、なおさら。
地元を愛する気持ちだとか、意図的に言っていたのではないだとか、目の前の市長の口から次々と言葉が。
最後に頭を下げられた後、市長はすぐに廊下を歩いてどこかへ行きました。
これらをふまえれば、僕の中としては、これは一種の面会だと捉えています。
抗議文書を渡した際に伝えた2つの要求
「抗議文書に対する返答」
「市長との面会」
これが叶えられたのではないか、と思っています。
若干特殊な事例(市長に直接抗議したとか)とは言え、一個人が行政に対してほぼ無茶な要求をつきつけ、それが(微妙なところではありますが)叶えられる。
完全に常識はずれですね。
傍から見れば「そんなん無理だろ」と思える今回の行動。
それでもやってみた今回の結果。
「本気」になって立ち向かえば、「できる」んだということを、僕としては身を持って経験し、他の人に伝えられるものとなりました。
ただ、逆を返せば、日進市がここまで真摯に対応をしているということ。
それは、行政の手本として、多くの行政に参考にさせたいところです。
日進市長との戦い(対決)には、これで一つ区切りがつきました。
もちろん、完全に満足しているかと聞かれれば、首を傾げてしまうかもしれませんが、ここまで真摯に対応してくれたことには、満足していると答えます。
事実、抗議文書を提出したのが9月20日のことで、返答に対する面会を連絡してきたのが23日(しかも、秋分の日という祝日)。
面会したのが27日と、一連の流れが1週間という比較的短い時間で終わったのも、行政としては比較的早い対応だと思います。
途中の22日には、福島県川俣町に直接謝罪に言っていることも考えれば…
残るは、実行委員会。
未だに実行委員会開催の確実な連絡がこないので、何とも言えません。
主催した実行委員会の対応がどうなるか。
今できることは、ただ、待ち続けること。